市内の名作を訪ねて  彫像散策

 

   (杉本 幸一郎 作)

この作品は、戦後、杉本幸一郎が教師をしていた三高の講堂に石膏像として置かれていました。ところが、高校が男女共学になり、男生徒もいる学校にこの像があるのは、どんなものかということになり、県立図書館に移され、倉庫でホコリをかぶったまま、いつか忘れられていました。

それを見つけた雲谷の県立青年の家所長・須郷先生が、これこそ青年の家のシンボルだと、玄関にすえつけました。ところが石膏ですから、ある日、掃除中に倒していまい、翼がとれてしまいました。青森高校の教頭田村進先生が修復しましたが、その頃やっと、この作者が十和田市出身の杉本幸一郎だとわかり、県議の丸井さんから県教委と折衝して、ようやく里帰りできたのです。

大ホール二階ホワイエにある石膏像がその作品で、これを文化協会の手でブロンズにしたのが外庭の「翔」です。杉本幸一郎が若くして病に倒れなければ、今頃は日本一、二の彫刻家なのにと惜しまれます。

      「作品の解説」(市民文化センター元館長   今純一郎氏)

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  作者略歴

杉本 幸一郎(すぎもと こういちろう)

(明治45年)三本木村(十和田市)生まれ

(昭和38年)第3回現代彫刻家集団(S・A・S)展に入選。 新海竹蔵に師事

(大正13年)盛岡商業学校入学

(昭和 6年)帝国美術学校(現・武蔵美術大学)入学。清水多嘉示に師事

(昭和 7年)二科展に入選

(昭和8・9年)国画会展に「習作」「立像」が入選

(昭和10年)帝国美術展に「青年の立像」が入選

(昭和15年)新分展に「剣の護法」が入選

(昭和19年)三本木高等女学校の美術講師となる

(昭和24年)郷里において死去

                             資料提供 十和田市